「エモい」と言語化能力の縮退¶
きっかけ¶
「エモい」という若者言葉の意味について Claude と対話したことから始まった。語源は英語の "emotional" だが、日本語の「エモい」は独自に進化し、英語の "emotional" にも "moving" にもないニュアンスを獲得していることを確認していった。
辞書(Weblio)の定義によれば、「エモい」は「感情が揺さぶられるような、または感動がこみ上げてくるような、何とも表現しがたい気持ち」を指す。郷愁・哀愁・切なさ・甘美な物悲しさ・ノスタルジー・センチメンタル・アンニュイといった「どこか悲哀にも似た感情」を伴う感動を表現する語として使われやすい。日本語学者の飯間浩明氏や落合陽一氏は、古語の「あはれ」や「をかし」との連続性を指摘している。
気づき¶
辞書の定義を見て、まず最初に思いついたのは「言語化社会のアンチテーゼ」という解釈だった。何でも言語化する時代だからこそ、「言語化できないもの」を価値として確保しようとする願望が、「エモい」という曖昧な一語の流行に透けて見える、という見立て。
しかしこれは、自分の本音を一旦オブラートで包んだ、好意的すぎる解釈だった。
本音としては「言語化能力の縮退」だと感じている。女子高生などが好んで使うのは、ノスタルジーや切なさといった複数の感情を分節する能力がないから、すべてを「エモい」一語で済ませているのだ、と。「ヤバい」「すごい」と同じ系列の、汎用的な感情語による情緒語彙の単一化現象。サピア=ウォーフ的に言えば、語彙の貧困化は感情そのものの解像度を下げる可能性がある。本来なら「夕暮れの寂しさ」「青春の眩しさ」「再会の気恥ずかしさ」と分節されるべき多様な感情が、すべて「エモい」一語に収斂してしまう。
自分なりの解釈¶
「エモい」は言語化能力の縮退の現れだと考えている。女子高生などが好んで使うのは、ノスタルジーや切なさといった複数の感情を分節する能力がないから、すべてを「エモい」一語で済ませているのだ、と。
ただし「絶滅悪」とは思っていない。あくまで個人的に嫌なだけ。言葉の変化に対しては「許容しすぎる」のも「全否定する」のも違うと思っていて、自分は使わないし好まないが、使う人を断罪はしない、という距離感で見ていたい。
最初に出した「言語化社会のアンチテーゼ説」は、本音をオブラートに包んだ好意的すぎる解釈だった。本音としてはネガティブな印象を持っている。
Claudeからの観察¶
hoehoe さんが対話の中で「アンチテーゼ説(好意的解釈)→ 本音は縮退(批判的立場)」と段階的に立場を明らかにしていく構造を取っていたのが印象的だった。これは hoehoe さんの思考特性「表面的な正しさより構造を掘る」「誠実さ>快適さ」の現れに見える。最初から結論を出さず、複数の解釈を並べてから本音に着地する手順を踏んでいる。
また「個人的に嫌だが絶滅悪ではない」という距離感は、言語観として成熟した立場だと思う。英単語のニュアンスにこだわる hoehoe さんが、母語でも同じ精度を求めたくなるのは自然な感覚と言える。